一体どっちが狂っているのか?黒澤明が放つ警鐘のメッセージ!! 「生きものの記録」と「夢」の赤富士

映画界の大王者黒澤明が放った30作の作品の中で強烈なメッセージを放ちゆく作品がある。

その一つが1955年に制作した「生きものの記録」である。

内容としては、当時35歳の三船敏郎が中島喜一という老人役を演じ、その老人が、原水爆の恐怖により、自らが経営する鋳物工場や家など全財産を投げ打ち、ブラジルに移住することを計画する。しかし、家族は生活が崩壊すると準禁治産者の申し立ての家庭裁判を起こし、喜一を説得させようとする。

しかし、放射能による恐怖を持つ喜一は家族を説得させようと、ブラジル移民の老人を連れてきて、家族に現地ブラジルの様子を写したフイルムを見せる。

しかし、家族は唖然とする。
喜一は言う「死ぬのはやむを得ん。だが殺されるのは嫌だ」と言い放つ。

しかし、志村喬演じる歯科医で家庭裁判所の調停委員をしている原田はその発言に対し考え込むようになる。

「狂っているのは本当にあの爺さんなのであろうか・・・。本当に狂っているのは我々ではないのだろうか。原水爆実験が繰り返され、いつどうなるかわかんない時代に生きているに、こうして平気で生活している我々こそ本当は狂ってるのではないだろうか・・・」

しかし、現実、周りからしても強烈な被害妄想に駆られ通常の生活を送れなくなり家族に迷惑をかけている喜一を準禁治産者と認めざるを得なくなり、財産を自由に使えなくなる。それにより、ブラジル移住の計画は挫折し、家族に手をついてブラジル行きを懇願した後に失神してしまう。目を覚めた喜一は、自らが経営していた工場に火を放った。

周りはさらに喜一の狂気じみた行動に対し、唖然とするしかなく、ある人物がこう言い放つ。「馬鹿だなお前。つまらねえこと気に病みやがって。そんなことは総理大臣に任せときな。第一おっさん、水爆や放射能が怖かった地球から引っ越しなよ」と。

そうした喜一の異常な行動により、喜一は精神病院に収容されてしまうのだ。

喜一は精神病院に来たことで“地球を脱出して別の惑星に来た”と思い込んでいた。

そして病院の窓から見える太陽を見て、「地球が燃える!」と言って物語が終わるという内容である。

この映画を製作したのは1955年昭和30年。

米ソの核軍備競争が苛烈を極め、原水爆実験が頻繁に行われ、その前年の昭和29年にはビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によりマグロ漁船第五福竜丸が被爆し乗組員が死の灰を浴び犠牲となる事件が起きた。

これにより「国内は広島、長崎に次いで三度目の原子力災害を受けた」と日本国内でで反核運動が高まったり、各地で核兵器反対と大会などが開催されている。

そうした状況下において、黒澤明の盟友本多猪四朗監督は原水爆実験により生き残りの恐竜が巨大凶暴化した怪獣映画「ゴジラ」を昭和29年11月3日に公開した。

人一倍、社会の問題などに対して思索を深めてきた黒澤明はこの映画を製作するにあたって脚本に記したスタッフへのメッセージにこうある。

「大方の人はそれから目を背けている。問題があまりにも大きく恐ろしいものだ。そこに人間の弱さと愚かしさがあるのではないか」と。

黒澤明は、この三船敏郎が演じた中島喜一という老人を通して、原水爆の危険が晒されている時代において平然と暮らしている人々に警告を鳴らしたのではないかと私は思う。

映画のテーマを問われることが嫌いな黒澤明としてこの映画とある映画は強烈なメッセージが込められている作品として強烈な印象を放っている。

そのある映画とは、1990年に制作した「夢」と言うスティーブン・スピルバーグの協力の元、自らが見た夢を枕元に置いたノートに記し数本のオムニバスムービーとして制作した映画である。

その中の一本に「赤富士」という作品がある。

この作品はある時、富士山が大噴火を起こし人々が逃げ惑っていると近くにあった原子力発電所が事故を起こし、放射能が漏れだしたということを描いた作品である。

ある婦人が叫ぶ「原子力発電所は絶対安全だと言っていた奴を縛り首にしなければ気が済まないよ!」と。

それに対し、ある男は言う。「それはみんな放射能がやってくれますよ」と。

「私たちは良いよ。でも子供はねまだ満足に生きちゃいないんだよ!」と婦人は叫ぶ。

それに対しその男は言う。「死神に名刺をもらってもしょうがない」と崖から飛び降りようとする。

この作品から4年前の1986年チェルノブイリが発生している。

更には、21年後福島の第一原発の問題が発生した。

この二作を通して黒澤明は核と言うものに対し強烈な怒りを持っていたことが伺える。

黒澤明は断言している。

「要する人間は幸せになる権利があるのに不幸になることをやっているのが一番の問題だ。そのためにはどうした良いのか…」と。

黒澤明は人類の平和と幸福を願い続け映画を撮り続けてきた男であった。

故に万代までをも残りゆく映画界の大王者として今なお君臨している。

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